Vol.13
私たちが届けてきた
『先進性』とは

写真左:新阪神ビル(手前)と西阪神ビル(奥)(1970年)
写真右:ハービスENT(中央)とハービスOSAKA(奥)
戦後の西梅田に登場した白亜の新阪神ビル
阪神グループは、1953年、大阪市の玄関口という一等地でありながら戦後焼け跡となっていた旧梅田駅跡地に新阪神ビルを開館します。半円形の外観を持つ2階建て部分と方形の9階建て部分からなる個性的なスタイルで、“春風をきる白亜”のビルとも呼ばれました。大阪市内における戦後のビル建設としては極めて早期の部類に属し、当時では規模や設備でも先端を行くもので、大阪復興のシンボルの一つとして大いに注目を集めました。

開業時の新阪神ビル(1953年)
ホテル阪神があった高層の西阪神ビル
西梅田には、1967年に西阪神ビルが完成します。大阪で初めて、超高層ビルの建設に必要な建築基準法上の「特定街区」の指定を受けて建設したもので、地下4階・地上15階・塔屋3階(延床面積41,700㎡)のビルは、当時の関西では第一の高層ビルでした。同ビルにはオフィスや店舗のほか「ホテル阪神」を開業。客室のほか、多機能を有したホテルは、交通至便な立地やお手頃な料金設定もあって、ビジネスパーソンなどの人気を博しました。

開業時の西阪神ビル(1967年)
西梅田を世界水準の街へ・ハービスOSAKA/ハービスENT
1992年、阪神電気鉄道は、西日本の表玄関・大阪にふさわしい世界水準の街を創造し、国際都市・大阪の発展に貢献すべく、「グローバル・ビジネス・コンプレックス-人間交流都市の実現」をコンセプトとして西梅田開発事業に着手。1997年にハービスOSAKA、2004年にハービスENTをそれぞれ開業しました。ラグジュアリーホテル「ザ・リッツ・カールトン大阪」のほか、「大阪四季劇場」、「ビルボードライブ大阪」、コミュニティFM「ウメダFM Be Happy!」など、ハード・ソフトともに充実した街を形成しています。

ハービスENT(館内)
120th アナザーストーリー
阪神の航空(旅行・貨物)事業
戦後、GHQは日本企業の航空事業参入を禁止していましたが、1947年にパンアメリカン航空・ノースウエスト航空が東京乗入れを開始。両航空会社は、旅客・貨物を取り扱う日本の代理店を必要としたことから、GHQが経済的見地から代理店にふさわしい企業として推薦した5社に、阪神電気鉄道が含まれました。これを受けて、阪神電気鉄道は翌1948年から航空代理店業を開始します。
1948年、日本通運の副代理店として大阪営業所(梅田阪神ビル内)で航空貨物の代理店営業を開始。1950年からはIATA公認の航空代理店として自立し、1951年には東京営業所(中央区京橋)を設置しました。
その後、貨物事業については、国内外の営業拠点を拡張し、1999年の分社化により阪神エアカーゴとなった後、2009年の合併により阪急阪神エクスプレスとなって現在に至ります。
一方、旅行事業については、1951年に日本航空が国内線を開設した際に代理店契約を締結。1954年には日本ヘリコプター輸送(全日本空輸の前身)の総代理店となりました。1964年の海外旅行自由化などにより大きくシェアを伸ばす旅行業者も登場した中、阪神航空は1973年に海外パッケージツアーのブランド「フレンドツアー」を創設するなど、ヨーロッパ旅行に強い中堅旅行業者としての地位を築きました。2008年の分社化や、その後の再編を経て、現在は阪急交通社の旅行ブランド(阪神航空フレンドツアー)として旅の感動をお届けしています(なお、阪急交通社の本社はハービスOSAKA内にあります。)。






