阪神“たいせつ”ストーリー

Vol.12

私たちが届けてきた
『ほんまもん』とは

写真左:梅田阪神ビル(1954年) 写真右:大阪梅田ツインタワーズ・サウス

写真左:梅田阪神ビル(1954年)
写真右:大阪梅田ツインタワーズ・サウス

戦争に翻弄された梅田阪神ビル

阪神電気鉄道では、1929年に2階建て駅舎に改築された旧梅田駅において、阪神マートや直営の洋食堂等を開業していましたが、大阪駅前地下延長線の工事に伴い新設される新梅田駅に8階建て・延床面積約73,000㎡の豪壮なターミナルビルを建設し、百貨店を経営することが計画されました。1937年の建設開始後、戦争激化の影響で計画縮小を余儀なくされたものの、1941年に地下2階・地上4階建て・延床面積約18,000㎡の「梅田阪神ビル」が竣工。これが阪神梅田におけるターミナルビルの礎となります。

旧梅田駅夜景(1937年)

旧梅田駅夜景(1937年)

戦前の百貨店構想を実現した大阪神ビル

1951年、梅田阪神ビルの1階部分に阪神百貨店が誕生します。しかし、百貨店としては狭小であったため、改めて戦前に構想された本格的な百貨店設立計画を立案。1958年に増築部分が開業した後、1963年には新館部分も竣工し、ここに地下5階・地上11階建て・延床面積97,119㎡の「大阪神ビル」が完成しました。阪神百貨店の売場面積が2.5倍に拡張されたほか、立地条件が抜群の新館には当時の複数の有力企業がテナントとして入居しました。

大阪神ビル(1963年)

大阪神ビル(1963年)

“ほんまもん”の機能と景観で存在感を放つ
大阪梅田ツインタワーズ・サウス

その後、1974年に全館を百貨店化した大阪神ビルは、大阪梅田における阪神グループの顔(ターミナルビル)として半世紀以上にわたりご愛顧いただきましたが、隣接する新阪急ビルと一体的に建て替える梅田1丁目1番地計画により、2022年、「大阪梅田ツインタワーズ・サウス」として生まれ変わりました。地下3階・地上38階建て・延床面積約260,000㎡の同ビルは、百貨店、オフィス、カンファレンスの3つのゾーンからなり、国際都市・大阪梅田のシンボルにふさわしい、快適で質の高い“ほんまもん”の都市空間を提供しています。

オフィスワーカー専用フロアWELLCO(ラウンジ)

オフィスワーカー専用フロアWELLCO(ラウンジ)

120th アナザーストーリー

ターミナルビルは神戸から

阪神電気鉄道におけるターミナルビルの開業は、大阪よりも神戸の方が先でした。 阪神電車では1933年6月に三宮地下線(三宮~岩屋間)の工事が完成し、三宮駅への地下線乗入れを開始しましたが、その3か月後に竣工したのが、神戸側のターミナルビル「三宮阪神ビル」です。竣工時は延べ3500坪を有する地下2階・地上7階のビルで、十合呉服店(そごう)に大部分を賃貸していました(現在は神戸阪急に賃貸)。
また、1936年3月の元町への延長線敷設に伴い、同年9月に延べ1000坪の「元町阪神ビル(阪神会館)」を建設、ニュース映画場、食堂、喫茶店などが入居しました。その後、1976年に解体され、1987年、跡地に延べ2500坪の新たな「元町阪神ビル」を建設しました(同ビルは、競馬ファンの方にはウインズ神戸A館の名称で知られています。)。

開通当時の三宮駅<1933年>

開通当時の三宮駅<1933年>

三宮阪神ビル①<1933年>

三宮阪神ビル①<1933年>

三宮阪神ビル②<1996年>

三宮阪神ビル②<1996年>

三宮阪神ビル③<2023年>

三宮阪神ビル③<2023年>

開通当時の元町駅<1936年>

開通当時の元町駅<1936年>

元町阪神ビル①<1936年>

元町阪神ビル①<1936年>

元町阪神ビル②<1954年>

元町阪神ビル②<1954年>

元町阪神ビル③<2025年>

元町阪神ビル③<2025年>