Vol.06
私たちが届けてきた
『ほんまもん』とは
写真左:開業当時の六甲ケーブル(1932年)
写真右:神戸六甲ミーツ・アート展示作品(2023年)
武田真佳《Case》2023年 撮影:高嶋清俊
(場所/六甲ガーデンテラス 見晴らしのテラス)
六甲山の永続的発展を見据えて開発
「六甲おろし」でも有名な神戸・六甲山。阪神電気鉄道では1912年に登山者向け施設「阪神クラブ」を開設。その後、1927年に地元から75万坪の土地を取得し、本格的な開発をスタートさせました。六甲山の永続的発展を念頭に、住宅別荘地区、水源地区、森林地区、遊園地区、商業地区の5つに分けて開発を進め、回遊道路の建設、別荘地の分譲、六甲ケーブルや旅館・レジャー施設の開業などを進めていきました。
六甲山回遊道路標柱
戦前から“ほんまもん”の施設を運営
阪神グループでは、戦前から “ほんまもん”の施設を運営しています。1933年開園の「六甲高山植物園」(博物館法上の指定施設/1955年指定)は、植物学者・牧野富太郎博士の指導を受けた由緒ある植物園で、約1,500種の高山植物等を栽培しています。1994年開業の「ROKKO森の音ミュージアム」(同/1996年指定)は、アンティーク・オルゴールなどの自動演奏楽器を数多く展示し、豊かな自然の中で100年以上前の音色をお楽しみいただけます。「六甲山上に“ほんまもん”の施設をつくる」という先人たちの信念は、後世へと引き継がれています。
開園当初の六甲高山植物園の入口(現在の東入口)
これからも新しいレジャー・文化の発信拠点に
現在、新しい六甲山の魅力を発信するべく、挑戦を続けています。1937年開業の六甲山カンツリーハウスを2021年に「六甲山アスレチックパークGREENIA」としてリニューアル、約23万㎡の広大なフィールドに数多くのアスレチックが揃う日本最大級のアスレチックパークとなりました。また、毎年秋には、「ROKKO森の音ミュージアム」を中心拠点として現代アートの芸術祭「神戸六甲ミーツ・アート」を開催しています。“ほんまもん”がギュッと詰まった六甲山に是非お越しください。
六甲山アスレチックパークGREENIA
120th アナザーストーリー
六甲ケーブルは現在三代目
阪神電気鉄道では、1910年に当時の技師長が外遊した際、六甲山へのケーブル敷設を計画しスイスのケーブル等を入念に調査していましたが、本格的に六甲山に進出した後の1932年、グループの六甲越有馬鉄道が六甲ケーブルを開業します。現在と同様に、土橋駅(現・六甲ケーブル下駅)と六甲山駅(現・六甲山上駅)を結んでいましたが、開業当初は途中の清水駅(1939年廃止)で乗り継ぐ必要がありました。
開業時の初代車両は1連4車交走式(1938年の阪神大水害による2両流出後は1連2車交走式)でしたが、戦後の輸送量の増大を受け、1952年に展望車両を増結。我が国で初めて1連2両連結4車交走式となり、六甲山をより一層お楽しみいただけるケーブルカーに進化させました。
その後も六甲山を訪れる旅客は増加の一途を辿ったことから、1959年、前面が丸みを帯びたボンネット状の山上車とオープンカーの展望車を連結した二代目車両に更新し、最大乗車人員が184人から275人に増強されました。なお、初代車両は引退後、有蓋車は子供用の宿泊設備として、展望車は凌雲台の休憩所として再利用されたとの記録が残っています。
1999年に更新された現在の車両は三代目。「クラシックタイプ」(赤)と「レトロタイプ」(緑)の2編成(最大乗車人員201人)で運行しており、六甲ケーブル下駅~六甲山上駅の約1.7km、高低差493.3mを約10分で結んでいます。